天正4年(1576年)織田信長に京を追われた室町将軍足利義昭は各地を流浪したのち、安芸の戦国大名毛利氏を頼ってきた。
足利義昭は鞆に御座所を置いたため鞆幕府とも呼ばれた。義昭は山田郷を経て津之郷へ移っている。津之郷に御所を移した時期は定かではないが天正10年頃とされ、天正15年7月には細川藤孝(幽斎)が津之郷の足利義昭のもとを訪れている。
天正15年豊臣秀吉の要請によって足利義昭は帰洛し、秀吉から山城国槇島で一万石の知行を受けている。
津之郷の足利義昭御所は惣堂明神社のあたりに築かれていた。
惣堂明神社に隣接する畑のところに御殿があったと伝えられ、案内板が設置されている。また惣堂明神社の祭神に足利義昭夫妻が祀られており、足利義昭像が残っているようだ。
福山SA(下り)の南側に住宅地があり、その一角に津之郷北公園がある。公園の階段を登ってすぐに南に下ると惣堂明神社の境内がある。
最寄り駅(直線距離)