築城年代は定かではないが応仁・文明年間(1467年〜1487年)頃に渡辺信濃守元家によって築かれたと云われる。 渡辺氏は一乗山城主渡辺氏と同族で山名宗全に属して戦功があり国留と矢野の地を賜り国留城と矢野城を築いたとされるが、その後の動向はわからないという。
国留城は南東に延びた丘陵の先端に築かれている。
北西の尾根を堀切で断ち切って独立させた丘陵に三段程の削平地を設けている。堀切に面して土塁が残っており、高いところでは2m程ある。
国留にある浄円寺を目指す。ここから西のほうに降りていくとこんもりとした丘陵がありそこが城址。
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