備後 小童山根城びんご ひちやまねじょう

城郭放浪記


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備後 小童山根城の写真
掲載写真数
形態
丘城(400m/40m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
曲輪,堀切
城 主
土屋氏
縄張図
小童山根城縄張図
歴 史

築城年代は定かではない。『小童村史』によれば、戦国時代末期には土屋氏の居城で、文禄元年(1592年)城主土屋景治は翁山城主長氏と戦って討死し、山根城は長氏に攻められ落城、以後、長氏は麓山城を拠点に小童を支配したという。

討死した景治の室は尾首城主湯浅元宗の娘であったため、一子虎若をともなって湯浅氏を頼って落ちたという。

説 明

小童山根城は小童小学校の南東にあり、北へ伸びた尾根の先端に築かれている。地元の方に山根城の所在について聞いた所、この場所を教えていただいた。『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 』に掲載されている位置とは谷を挟んだ西側にあたり、縄張が異なるが、『日本城郭大系』の記述とは概ね合致する。『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 』の場所はまだ未確認である。

主郭Iが最高所となり、北下に曲輪IIがある。主郭はきれいに削平されているが、北にむけてやや傾斜する。

北の尾根先は堀切1、南の尾根背後は二重堀切2で遮断している。二重堀切2は内側のほうが規模が大きく堀底はやや幅があり、薬研堀というよりは箱堀状になっている。

曲輪IとIIの段差は大きく直接上り下りするのは難しいが、西側に小規模な段Aがあるので、これを使って上り下りしていたと考えられる。

また、主郭の東下にはスロープBがあり、谷下から登ってくる道があるが、これが遺構かどうか判然としない。

案 内

西側にある民家の裏手に山根城主の墓がある。この裏手を散策する道が地元の方によって整備されており、そこから城へ行くことができる。

最寄り駅(直線距離)
3.1km 甲奴駅
3.9km 梶田駅
4.8km 上下駅
5.3km 備後矢野駅
6.3km 備後三川駅
主な参考文献
広島県中世城館遺跡総合調査報告書
日本城郭大系〈第13巻〉広島・岡山(新人物往来社)
甲奴町誌
小童村誌
所在地/地図
広島県三次市甲奴町小童
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
1.2km 備後 麓山城
2.7km 備後 高鉢山城
2.9km 備後 龍王山城(甲奴町)
3.3km 備後 千丸松城
3.4km 備後 西野山根城
3.5km 備後 頭士山城
3.5km 備後 時鳥城
3.6km 備後 日掛城
3.8km 備後 上野山城
3.9km 備後 国留城
4.3km 備後 茶臼山城(甲奴町)
4.5km 備後 薄古城
5.1km 備後 上下代官所
5.3km 備後 丹下城
5.4km 備後 翁山城
5.5km 備後 矢多田城
5.8km 備後 有福城
6.6km 備後 井永城
6.8km 備後 有田城(甲奴町)
7.0km 備後 鳥頭城
7.8km 備後 平田城
8.1km 備後 丸小山城
8.3km 備後 奥尾城
8.3km 備後 谷平山城
最終訪問日
2023年10月
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