築城年代は定かではないが鎌倉時代後期頃に築かれたと云われる。 城主は家臣吉岡質休・吉岡右京道秀が伝えられている。
中国自動車道の開通によって西側の一部を除いて消滅した。
城は東へ突き出した尾根の先端部に築かれており、西へ伸びる尾根を堀切で断ち切って独立させている。主郭の西端には高さ1m南北15m東西5mの曲輪があり、堀切に対する防御を担っていたとされるが、今の状態は土塁に見える。
国道182号線が岡山県と広島県との県境付近で中国自動車道と交錯するが、その東側の交差点を南へ曲って少し進むと右側の高速道路の奥に「岸本城址」の看板が見える。そのちょうど正面から高速道路下を潜って西へ向かう道があり、それを進むと正面の竹林の中を林道が通っている。それを進んで行くと左手にピンクのリボンが山の奥へ続いている所があり、それを進むと城址へたどり着く。
最寄り駅(直線距離)