詳細不明。『芸藩通志』には「小野城 古屋村にあり、」とだけ記されている。
城主は毛利家臣八幡原氏と伝えられ、八幡原孫八郎は天文23年明石口で陶晴賢軍との戦いで戦功を挙げ感状を賜っている。
関ヶ原合戦後、八幡原氏は毛利氏にしたがって長門へ移り、後に志賀氏を称している。
小野城は標高409mの北へ伸びた尾根の先端に築かれている。
ほぼ単郭の城で、南端最高所は小規模な土壇状になり、北下のあたりが広く削平されている。そこから北へ向かって下る斜面に若干の段を築いているが、全体的に削平は甘く段造成も明確ではない。曲輪の東西両側面は高い切岸になるが、北端は側面よりは低く堀切も設けていない。
主郭の南背後は主郭より高くなっていく地形であるが二重堀切で遮断している。内側の堀は二段底で内側が深く竪堀は曲輪側面に巻き込みながら、北は竪堀を伸ばしている。外側の堀切は内堀より高い位置にあり、堀底には土橋があるがこれは山道による改変と思われる。
道はない。北東麓の民家の方に登り方を聞いた所、城跡があるのはご存知であった。宅地脇から山に入ってそのまま登っていけるということで、そこから取り付いた。
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