『芸藩通志』では「古塁 同村(上瀬野村)にあり、土人隠居山とよぷ、故をしらず、」とある。
『瀬野の歴史と文化-第1部-瀬野の歴史と遺蹟(瀬野川流域郷土史懇話会)』では「隠居七郎左衛門との説あり」とする。
隠居城は八世以山から南へ派生した尾根の一つ、標高230mほどの峰に築かれており、八世以山に登る登山道の一つが城内を通っている。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』掲載の図面では広範囲に曲輪が残るとしているが、現地確認したところ、確実に城郭遺構といえるのは曲輪Iの部分だけで、他の峰は自然地形である。三角点の一つ南の峰は削平しているが、切岸がなくコンクリート基礎部と思われるものや近代瓦などがあり後世の地形と考えられる。
単郭の小城で主郭Iは削平が甘く、最高所と切岸際に若干の削平地があり残りは傾斜する。曲輪の周囲は全周高い切岸となる。
切岸下方は各方面に伸びる支尾根を遮断する堀切になる。堀切と堀切の間には一部竪堀状の溝もあるが、ほぼ尾根と尾根の間の谷間地形である。いずれにしても切岸以外の加工度は低い。
微地形表現図で周囲を確認すると、城跡の北東側の尾根に削平地Aが確認できたので現地調査した。
尾根上は丁寧に削平され北端部は小さく二段に削平し、周囲には犬走程度の平地が付いている。南端部分は石積があり、腰曲輪のような地形が残る。削平具合や段切などは城郭遺構として違和感のないものであるが、やはり尾根背後に堀や高い切岸がなく、そのまま山上に通じており、この部分単体では城郭遺構とみなすことはできない。
小さな炭窯跡のような石組もあり後世利用されているのは確実であるが、この地形が何によるものなのかは判断できなかった。
八世以山への登山道が利用できるが、尾根先(中田登山口)から登るルートがよくわからず、溜池から登り尾根上で合流したところから尾根先に降るルートで歩いた。登口近くに駐車スペースはない。
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