詳細不明。阿曽沼氏の城か。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 』に未掲載であるが、CS立体図で見つけた場所に城郭遺構が確認できたので、仮称榎ノ山城として掲載する。地元の方はこの山に城跡らしき地形があるのをご存知であったが、城の名前や山の名前は特にないという。
榎ノ山城は上の城と下の城の二ヶ所に城郭遺構があり、ここでは上の城について記す。
榎ノ山城(上城)は標高220m付近に築かれた単郭の城で、下城と同一勢力の城と考えられるが、主城となるのは下城のほうであろう。
曲輪の造成は甘くやや傾斜しており中央にやや小高い段を設けている。周囲の切岸は立派で高さは数mほど、北側はそのまま堀切、南は切岸を設けたことによってできた緩斜面地形がそのまま残されている。
この城の位置は西の高い山、下城に続く北東、そして南東の3つの尾根の分岐点より、南に伸びた尾根側に築かれている。一般的に尾根背後のみに堀切を設けて遮断する城は尾根先側が急峻な地形となって土木量を削減できるなどのメリットがあるが、この城は全周に高い切岸を設け、その下方が緩斜面地形になるようなところであるので、土木量の削減が目的ではなく、この場所にあることに意味があるのだろう。眺望がまったくないので推測ではあるが、南の榎ノ川沿いを監視することを目的とした城と考えられる。
整備された道はない。東麓の河内神社から取り付いたが、南尾根のほうが登りやすそうである。
最寄り駅(直線距離)