明治元年(1868年)広島藩によって築かれた。
幕末から明治への動乱期で広島藩が内陸部の志和盆地に築いた城で、練兵場という名目で築かれた。
広島城は海に近く、船からの砲撃が可能なことから内陸部にある志和盆地が選ばれた。このような事例は他藩にもあり、萩藩毛利家は山口城、支藩の長府藩毛利家は勝山御殿、筑前福岡藩では犬鳴別館を築くなど、内陸部に拠点を設けている。
八条原城は志和神社のあたりに築かれていた。
志和神社の参道に案内板と石碑がある。遺構は北西側の山麓部にあり土塁、石塁が残されており、本丸とされるあたりには池がある。
西条駅の北側にある教善寺に移築建物がある。
鳥獣柵がめぐらされているが、神社西側の道を北へ進んで行くと入ることができる。
最寄り駅(直線距離)