香川県の足跡

城郭放浪記


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讃岐国分寺写真
讃岐国分寺特史跡
香川県高松市国分寺町国分
讃岐国分寺は現在は真言宗のお寺で、四国八十八箇所霊場八十番札所である。建立時期は不明であるが天平勝宝8年(756年)頃には完成していたと考えられている。 伽藍の規模は東西220m、南北240mで...
讃岐国分尼寺写真
讃岐国分尼寺国史跡
香川県高松市国分寺町新居
讃岐国分尼寺は現在の法華寺境内一帯にあり、一町半(約165m四方)の規模と推測されている。伽藍の配置などは定かではないが、境内に20個の礎石が残されていることから、東西7間、南北4間の金堂跡と推測され...
銭形砂絵(寛永通宝)写真
銭形砂絵(寛永通宝)
香川県観音寺市有明町
江戸時代の通過である「寛永通宝」をかたどった砂絵で、高松藩主四代生駒高俊の領内巡視のときに藩主を歓迎するために一夜にして作り上げたのが始まりという。この砂絵を見たものは健康で長生きで一生お金に苦労しな...
生駒親正夫妻の墓所(弘憲寺)写真
生駒親正夫妻の墓所(弘憲寺)県史跡
香川県高松市錦町2-4-29
生駒親正は高松藩初代藩主で天正15年(1587年)に讃岐一国を与えられ、翌16年に高松城を築いた。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では西軍について丹後の田辺城攻めに家臣を派遣したが、嫡男一正が徳川家康...
生駒家廟(法泉寺)写真
生駒家廟(法泉寺)
香川県高松市番町1-3-19
法泉寺にある生駒家廟は高松藩二代藩主生駒一正と三代藩主生駒正俊の墓を納めており、なかには五輪塔二基が並んでいる。 生駒家廟は少しわかりづらいが、法泉寺の本堂の東側にある。
京極高朗墓所(玄要寺)写真
京極高朗墓所(玄要寺)市史跡
香川県丸亀市南条町
京極高朗は丸亀藩六代藩主で文化8年(1811年)14歳で家督を継ぎ、嘉永3年(1850年)に隠居して家督を朗徹に譲るまで藩政を司った。隠居後も丸亀に在住して明治維新を迎え、明治7年(1874年)に没し...
高松藩松平家墓所(法然寺)写真
高松藩松平家墓所(法然寺)
香川県高松市仏生山町甲3215
仏生山法然寺は高松藩主松平家の菩提寺で、「般若台」と呼ばれる高台に松平氏の墓所がある。 法然寺には初代頼重以下、三代頼豊、四代頼桓、五代頼恭、六代頼真、七代頼起、八代頼儀、十一代頼聰の墓がある。 ...
佐藤継信の墓写真
佐藤継信の墓市史跡
香川県高松市牟礼町牟礼
佐藤継信は弟忠信とともに源義経に仕えた武将で、陸奥国大鳥城主佐藤基治の子として生まれたと云われる。 佐藤継信は元暦2年(1185年)源平合戦の平家追討、屋島の戦いで討死した。 これは主君である...
江戸講中燈籠(太助燈籠)写真
江戸講中燈籠(太助燈籠)
香川県丸亀市西平山町
江戸講中燈籠は江戸時代に金比羅街道の入口として栄えた丸亀湊に立てられた燈籠で、青銅製である。建造は天保年間(1830年〜1844年)で寄進者、世話人など併せて1381名の名前と住所が刻まれ、そのなかで...
由佐秀盛の墓写真
由佐秀盛の墓
香川県高松市香南町由佐
由佐秀盛は由佐城主で戦国時代に三好義賢に従っていた。由佐氏は下野国益子氏の末裔で藤原秀郷の後裔を称しており、墓石には俗名として「由佐左京進藤原秀盛」と刻まれている。 由佐秀盛の墓は由佐城の模擬天...
藤澤藤新太夫光高の墓写真
藤澤藤新太夫光高の墓
香川県高松市塩江町上西
内場城主藤澤光高の墓と伝えられる。 藤澤光高の墓は内場城の東麓にある城原地区にある。
足跡地図
讃岐国府
香川県坂出市府中町
国府
総社神社
香川県坂出市林田町
総社
田村神社
香川県高松市一宮町
一宮
大水上神社
香川県三豊市高瀬町羽方
二宮
多和神社
香川県さぬき市志度
三宮
志度寺
香川県さぬき市志度
お寺
高松藩松平家墓所(霊芝寺)
香川県さぬき市末695
墓碑
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