京極高朗墓所(玄要寺)きょうごくたかあきらぼしょ
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京極高朗は丸亀藩六代藩主で文化8年(1811年)14歳で家督を継ぎ、嘉永3年(1850年)に隠居して家督を朗徹に譲るまで藩政を司った。隠居後も丸亀に在住して明治維新を迎え、明治7年(1874年)に没した。
玄要寺が京極高朗の菩提寺である。京極高朗の墓所は境内から少し南に歩いた場所にあり、四方を塀で囲まれていて内部に入ることはできない。墓石には「従五位京極高朗墓所之墓」と刻まれているようで、その上部が見えるのみである。