佐藤継信の墓さとうつぐのぶのはか
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佐藤継信は弟忠信とともに源義経に仕えた武将で、陸奥国大鳥城主佐藤基治の子として生まれたと云われる。
佐藤継信は元暦2年(1185年)源平合戦の平家追討、屋島の戦いで討死した。 これは主君である源義経を狙った平教経の矢を、義経の身代わりとなってうけたためとも云われている。
佐藤継信の墓は屋嶋の南にある子安地蔵寺にある。現在の墓は寛永20年高松藩主松平頼重によって新しく建立された墓石で、近くには源義経から賜った佐藤継信の愛馬「太夫黒」の墓もある。