生駒親正夫妻の墓所(弘憲寺)いこまちかまさふさいのぼしょ
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生駒親正は高松藩初代藩主で天正15年(1587年)に讃岐一国を与えられ、翌16年に高松城を築いた。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では西軍について丹後の田辺城攻めに家臣を派遣したが、嫡男一正が徳川家康に従って東軍で活躍したため、一時高野山で蟄居したがお咎めなく讃岐へ戻り、慶長8年(1603年)に没した。
生駒親正夫妻の墓は弘憲寺境内にあり、高さ約3mの大きな五輪塔が二基並んでいる。