脇屋義助公廟堂わきやよしすけこうびょうどう
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脇屋義助は新田義貞の弟で上野国新田郡脇屋に脇屋館を構えていたことから脇屋を称した。
興国3年(1342年)伊予の南朝方を支援するために塩飽水軍に護送されて今治の地に上陸するも、国分寺で病に倒れ、そのまま病没した。このため、世田山城や笠松山城に籠もっていた南朝方の勢力は北朝方の細川頼春によって攻められ落城している。
脇屋義助公廟堂は国分寺の北東にある。この廟は寛文9年(1669年)今治藩士町野政貞らによって再建されたものという。