脇屋義助公廟堂わきやよしすけこうびょうどう

城郭放浪記


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脇屋義助公廟堂の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
なし/不明
説 明

脇屋義助は新田義貞の弟で上野国新田郡脇屋に脇屋館を構えていたことから脇屋を称した。

興国3年(1342年)伊予の南朝方を支援するために塩飽水軍に護送されて今治の地に上陸するも、国分寺で病に倒れ、そのまま病没した。このため、世田山城笠松山城に籠もっていた南朝方の勢力は北朝方の細川頼春によって攻められ落城している。

脇屋義助公廟堂は国分寺の北東にある。この廟は寛文9年(1669年)今治藩士町野政貞らによって再建されたものという。

脇屋義助公廟堂の写真
11:脇屋義助公廟堂
脇屋義助公廟堂の写真
6:脇屋義助公廟堂の由来
案 内
最寄り駅(直線距離)
1.8km 伊予桜井駅
2.0km 伊予富田駅
5.1km 今治駅
8.7km 伊予三芳駅
9.6km 波止浜駅
所在地/地図
愛媛県今治市国分4丁目4
付近の史跡(直線距離)
0.1km 伊予国分寺
0.8km 今治藩主の墓
1.5km 伊予国府
1.6km 伊予国分尼寺
4.0km 多伎神社
7.0km 野間神社
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