伊予国分尼寺は伊予桜井駅から桜井小学校の辺りにあったとされる。現在桜井中学校の南側の山腹に法華寺があり、これが天平時代から現代まで続いている国分尼寺である。僧寺に比べて早くから廃寺となってしまう例が多い中で、現代まで続いている珍しいものである。
法華寺はもともと桜井小学校の辺りにあっが、江戸時代初期に現在の位置に移されたものという。伊予国分尼寺には塔があり、その塔跡が桜井中学校と桜井駅のちょうど中間付近、西の山裾の水田の中に残っている。ただ、この塔跡から出土する瓦は奈良時代より古い時代物で、金堂や講堂跡がまだ発見されていないことから、国分尼寺のものではないという指摘もある。