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脇屋義助公廟堂
愛媛県今治市国分4丁目4脇屋義助は新田義貞の弟で上野国新田郡脇屋に脇屋館を構えていたことから脇屋を称した。
興国3年(1342年)伊予の南朝方を支援するために塩飽水軍に護送されて今治の地に上陸するも、国分寺で病に倒れ、...
伊予国分寺国史跡
愛媛県今治市国分4伊予の国分寺は現在は真言律宗のお寺で、四国八十八箇所霊場五十九番札所になっている。建立時期は定かではないが天平勝宝8年(756年)頃には完成していたと考えられている。
伊予国分寺は天慶2年(93...
伊予国府
愛媛県今治市上徳南海道に位置する伊予国は、延喜式の格付けでは上国・遠国である。
国府は越智郡にあったことが「和名抄」によって知られているが、未だに有力な遺跡は発見されていない。有力な候補地は今治市上徳の辺りである。
伊予国分尼寺県史跡
愛媛県今治市桜井伊予国分尼寺は伊予桜井駅から桜井小学校の辺りにあったとされる。現在桜井中学校の南側の山腹に法華寺があり、これが天平時代から現代まで続いている国分尼寺である。僧寺に比べて早くから廃寺となってしまう例が多...
篠塚伊賀守墓所
愛媛県越智郡上島町魚島(篠塚公園)篠塚伊賀守重広は南北朝時代の武将で、南朝方の新田義貞の四天王の一人に数えられた人物である。義貞の死後は弟の脇屋義助に従い、興国3年(1342年)世田山城に籠城したが敗れて隠岐島へ落ち延びたという。
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亀居八幡神社の宝篋印塔国重文
愛媛県越智郡上島町魚島亀居八幡神社境内には南朝の忠臣篠塚伊賀守の墓と伝えられてきた宝篋印塔(国指定重要文化財)がある。この石塔はもともと篠塚公園にあったものであるが、八幡神社境内に移された。この宝篋印塔は鎌倉時代のものと推...
野々市ヶ原古戦場・千人塚市史跡
愛媛県西条市野々市(千人塚史跡公園)天正13年(1585年)豊臣秀吉による四国征伐で、小早川隆景が率いる豊臣方の軍勢が伊予の新居郡に上陸した。これを迎え撃つ長宗我部方の武将は金子城主金子元宅で、自身は守護代石川氏の居城高峠城に入り、金子...
島本陣旧三浦家(岩城郷土館)町史跡
愛媛県越智郡上島町岩城島本陣であった旧三浦家の屋敷が保存修理されて岩城郷土館として無料公開されている。
岩城島の三浦家は、永正8年(1511年)京の船岡山合戦に参加して討死した三浦義胤の三男三浦義高が、備後国三原から...
補陀山祥雲寺
愛媛県越智郡上島町岩城西部3019補陀山祥雲寺は曹洞宗の寺院である。境内にある観音堂は永享3年(1431年)に建立されたもので、聖観音菩薩を祀っており、国指定重要文化財となっている。
境内にはウバメガシが自生しており、「舟形ウバ...
今治藩主の墓県史跡
愛媛県今治市古国分2-5寛永12年(1635年)伊勢国長島より今治へ入封した(久松)松平定房を初代とする今治藩主久松松平家の墓所で、この地には初代定房、三代定陳、四代定基の墓碑がある。
今治藩主の墓は今治街道(旧国道1...
馬立本陣
愛媛県四国中央市新宮町馬立馬立本陣は土佐藩が江戸時代に参勤交代のために用いた本陣(宿泊施設)で、土佐街道から馬立川を太鼓橋で渡り、本陣に入った。この本陣は享保3年(1718年)土佐藩主六代山内豊隆から、文久2年(1862年)十...
足立重信の墓(来迎寺)県史跡
愛媛県松山市御幸1墓碑
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