篠塚伊賀守墓所しのづかいがのかみぼしょ

城郭放浪記


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篠塚伊賀守墓所の写真
掲載写真数
種類
供養塔
文化財指定
なし/不明
説 明

篠塚伊賀守重広は南北朝時代の武将で、南朝方の新田義貞の四天王の一人に数えられた人物である。義貞の死後は弟の脇屋義助に従い、興国3年(1342年)世田山城に籠城したが敗れて隠岐島へ落ち延びたという。

篠塚伊賀守が落ちたのがこの魚島という説があり、篠塚公園(篠塚さん)には篠塚伊賀守の墓と伝えられてきた宝篋印塔(国指定重要文化財)があった。現在この宝篋印塔は篠塚伊賀守の墓ではないということで、亀居八幡神社に移されている。

篠塚公園には小さな宝篋印塔や五輪塔などの石塔群があり、東屋から下へ降りて行くと『南朝忠臣篠塚伊賀守墓所』の石碑がある。

篠塚伊賀守墓所の写真
9:宝篋印塔
篠塚伊賀守墓所の写真
5:石塔群
所在地/地図
愛媛県越智郡上島町魚島(篠塚公園)
付近の史跡(直線距離)
0.1km 亀居八幡神社の宝篋印塔
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