詳細不明。『高知県中世城館跡』では城主の推定として河間光綱をあげる。河間光綱は南北朝時代の人物である。
八幡城は鯨坂八幡宮の背後を登った標高192mの山に築かれている。
単郭の城で内部の削平は甘く、中央がやや高くなって南北二段になっている。この高まりの部分に標柱が建てられており「中山城」と記されているが、『高知県中世城館跡』の別称としても掲載されておらず由緒は不明である。
曲輪の南に堀切1、東を堀切3で遮断し、切岸下方の緩くなった西側面に畝状竪堀群2を設けている。
鯨坂八幡宮のほうから登ろうと思ったが車を置くスペースを見つけられなかった。
登ったのは東側のトンネルの南口からで、階段を登って西側の支尾根を登ると稜線にでる。こちらは登口に駐車可能。
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