築城年代は定かではないが室町時代初期に今川氏によって築かれたと云われる。 今川範国は北朝方として各地を転戦し、遠江国守護職を得て、建武4年・延元2年(1337年)には駿河国守護職にも任ぜられた。
範国の嫡子今川範氏が駿河国花倉城を居城とし次いで駿府に入ると、範国の子今川貞世(了俊)を祖とする遠江今川氏が入部した。遠江今川氏はこの見付端城と堀越城を居城としていたようであるが詳らかではない。
天文6年(1537年)今川義元は反義元派であった見付端城主堀越用山(貞基)を犬居城主天野氏に命じて攻撃させこれを落とした。
見付端城は大見寺から磐田北小学校一帯に築かれていたといい、古くは遠江国府があり遠州の中心地であった。
見付端城の遺構は大見寺の境内にわずかに土塁が残っているのみである。