築城年代は定かではないが小畠氏によって築かれたと云われる。
小畠氏初期の詰城で、後に麓の宍人館を改修して居城としたと考えられている。 元和5年(1619年)小出吉親が居城を築くために検分した『御家譜伝記』には「古城山」と記されており、このときにはすでに廃城となっていたようである。
宍人城は宍人館の南西に聳える標高335mの山頂に築かれている。 一般的に宍人城と呼ばれているのは麓の宍人館の方であるが、『京都府中世城館跡調査報告書』にしたがってこちらを宍人城、麓を宍人館として紹介している。
宍人城は東西に長く伸びた標高335mの山頂に築かれている。主郭は東西に長く南は岩が露出して急峻で、北下に細い帯曲輪状の曲輪があり、東に段々と曲輪を連ねる。西下は鋭角に突出した曲輪で土塁が付いているが、内部の平坦面は極めて狭い。
東へ伸びる尾根には段々と曲輪を連ねるが、ここにも露出した岩があり平坦面はそれほど広くない。北側は狭い帯曲輪状の段が二・三段付いている。
整備された道はないが、北麓から胎金寺山への登山道が利用できる。北から続く林道の終点に駐車可能で、そこから登山道ではなく南の尾根筋を登っていけば城にたどり着く。 (林道終点の地図)
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