築城年代は定かではないが井上雅楽助によって築かれたと云われる。
井上氏は丹波国守護代八木城主の内藤氏の家臣で小守護代として船井郡を領していた。 井上氏は雅楽助・孫五郎・又六と続いたという。『丹波誌』には井上治部広政の名が記されている。
新庄城は旧新庄小学校の南西、文覚池の西に聳える標高221.9mの城山に築かれている。
主郭は北峰I1で、東へ伸びた尾根に曲輪群IIがある。その間の鞍部が堀切5であるが、この堀切状地形のところに谷筋からの山道が接続しており、虎口になっている。このため曲輪II1は南西隅部分のみに土塁が設けられている。
主郭の南下にはI3があり、I2からI1の西側面にある通路で接続している。I3は南曲輪群に接続する南端に土塁を設けている。
南曲輪群IIIは城山の三角点があるところが最高所で南側に武者走りがあり、北東隅に曲輪群III2に接続、さらに鞍部側に下る通路がある。南曲輪群の側面にはびっしりと畝状竪堀群が設けられており、一部の竪堀は鋭角に交わって堀切になっている。
主郭部と南曲輪群の間は三条ほどの堀切と竪堀で分断されている。
曲輪IIから南東へ降ったところに堀切1があり、その先の尾根にも人工地形があるがこのあたりは城郭遺構ではなさそうである。
文覚池の土手を渡ったところから登る。城山登山口の開口部は左の畑の中にあってわかりづらい。谷筋の道も荒れているので、現状では右側のフェンスに入った先から山に入ったほうが登りやすい。
最寄り駅(直線距離)