天正6年(1578年)に明智光秀によって築かれたと云われる。
織田信長によって丹波攻略を命ぜられた明智光秀は、天正4年(1575年)黒井城を包囲中に八上城主波多野秀治の離反によって近江国坂本に敗走した。
天正5年(1579年)再び丹波へ侵攻した光秀は籾井城を攻略すると、翌天正6年には八上城を包囲し、般若寺城、勝山砦などの付城を築くとともに、黒井城の荻野氏と八上城を分断する為に金山城を築き、城番として矢部式部・加上弥右衛門・朽木(見)久兵衛を置いた。
天正7年(1579年)丹波国の平定が終るとその役目を終え廃城になったという。
城は標高540mの金山の山頂に築かれており、山頂からは八上城、黒井城を一望することができる。
主郭は山頂にあって石垣で固められ、南西側の石垣が良く残っている。 山頂付近はT字状になっているが、南へ伸びた尾根が馬場跡で南端に土塁があり、そこから降ると園林寺の跡で、ここも出丸であったようだ。
国道176号線沿いに走ると登山口の道標がある。 東麓の追入神社の南側、または南麓の大乗寺から登山道がある。
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