丹波 八上城たんば やがみじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (丹波国/兵庫県) > 八上城
Tweet
丹波 八上城の写真
掲載写真数
形態
山城(462m/240m)
別 名
なし
文化財指定
国指定史跡
遺 構
石垣,土塁,郭,堀
城 主
波多野氏,明智光忠,並河飛騨守,前田茂勝,(松井)松平康重
歴 史

永正5年(1508年)波多野元清によって築かれたと云われる。 波多野氏の出自に関しては諸説あるが、石見国津和野の吉見氏で、大内家臣波多野氏を母とし主命によって母方の波多野を名乗ったと云う。

波多野元清は応仁の乱の功によって細川政元から多紀郡を与えられたという。 その後清秀の子の元清も剛勇の士で細川高国に厚遇され、郡奉行難波氏を追い払って八上に築城したという。元清はさらに守護代内藤氏や大内義興等の勢力を巧みに利用して多紀郡を支配するようになった。

天文19年頃から松永久秀・三好範長らによって度々攻められ、弘治3年(1557年)頃に飢饉の影響などもあって落城、松永孫六が城主となった。

永禄9年(1566年)波多野晴通・秀治は八上城を回復するが、天正3年(1575年)より織田信長の部将明智光秀によって丹波攻略が始まる。当初波多野氏は明智光秀に味方していたが、天正4年(1576年)黒井城に攻め寄せた明智光秀に叛き、荻野氏と結んで丹波より追い落とした。 天正5年(1577年)明智光秀再び丹波へ侵攻し籾井城を落とし、天正6年には八上城を厳重に包囲した。籠城戦は半年に及んだが遂に秀治以下兄弟三人が召し捕えられ落城した。

その後、明智光忠が城代となっていたが、明智光秀が羽柴秀吉に敗れると並河飛騨守が城代となった。

慶長7年(1602年)丹波国亀山城主前田玄以が没し、次男茂勝が相続すると、五万石で八上へ転封となる。しかし、慶長13年(1608年)前田茂勝は所行狂気の沙汰多く所領を没収され除封となった。

代わって常陸国笠間より(松井)松平康重が入封するが、天下普請によって篠山城が築かれると廃城となった。

説 明

城は篠山川の南岸にある高城山に築かれている。

主郭部は山頂にあって石垣で固められた本丸、二の丸、三の丸などが残る。

南東方向に降りて行くと南東方向に伸びた二つの尾根に間に「朝路池」があり、落城の際に「朝路姫」が入水して自殺したと伝えられている。

城門の写真

城門(移築 城門)


所在地: 兵庫県篠山市北新町
八上城門が移築されたと伝わる
市指定文化財

案 内
麓の春日神社入口に案内があり登山道が続いている。
最寄り駅(直線距離)
7.2km 篠山口駅
7.8km 南矢代駅
8.0km 丹波大山駅
所在地/地図
兵庫県丹波篠山市八上内字高城山
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
0.5km 丹波 前田主膳屋敷
0.7km 丹波 奥谷城
1.0km 丹波 法光寺城
1.4km 丹波 法光寺山第一砦
1.4km 丹波 安明寺城
1.5km 丹波 塚ノ山砦
1.7km 丹波 野間砦
1.7km 丹波 法光寺山第二砦
1.8km 丹波 般若寺城
2.0km 丹波 法光寺山第三砦
2.1km 丹波 曽地城
2.2km 丹波 小谷城
2.3km 丹波 大渕館
2.3km 丹波 堂山城
2.4km 丹波 大上東平城
2.4km 丹波 宮山砦
2.4km 丹波 大上西ノ上城
2.5km 丹波 鉄砲山砦
2.9km 丹波 四季山城
2.9km 丹波 武路城
3.0km 丹波 洞中砦
3.0km 丹波 剛山砦
3.0km 丹波 井上城
3.2km 丹波 上宿城
最終訪問日
2008年11月
TOP > > (丹波国/兵庫県) > 八上城