但馬 八木城たじま やぎじょう

城郭放浪記


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但馬 八木城の写真
掲載写真数
形態
山城(330m/230m)
別 名
八木石城,石城
文化財指定
国指定史跡
遺 構
石垣,曲輪,堀切
城 主
八木氏,別所重棟,別所吉治
歴 史
築城年代は定かではない。 八木城は石垣造りの石城と土塁造りの土城があり通常八木城とは石城を指す。
城主八木氏は「山名四天王」のひとりに数えられたが山名氏の勢力が衰えるとしだいに毛利氏に近付くが天正5年(1577年)と天正8年(1580年)の2度にわたる羽柴軍の但馬攻めによって15代八木豊信は降伏する。
降伏した豊信は天正8年(1580年)の羽柴秀吉による鳥取城攻めに従って因幡国若桜鬼ケ城の守備を命ぜられたが毛利氏の攻撃によって落城、豊信は後に日向国佐土原城主の島津家久に仕えた。
天正13年(1585年)別所重棟が一万二千石で入封するが子吉治は関ヶ原合戦で西軍に属した為に改易となった。
説 明

八木城は八木石城とも呼ばれ、八木土城より新しい時代の城郭遺構と見られていたが、近年では土城と同時期に利用され、石城は石垣による改修を行い、土城は石城の詰城として虎口など必要最低限の改修が行われたと考えられているようである。

2006年以来の再訪問であったが、以前より良く整備されており、登山道入口には駐車場への案内がなされているなど良くなっている。ただ入口にあったパンフレットがなくなっており、道の駅にある観光案内所に行くと置いてあった。

本丸は石垣造であるが北側は部分的にしか石垣が組まれていない。南の虎口は南隅櫓台の脇から坂を上り正面を左折れで入るようになっている。北西隅が天守台とされ、南隅櫓台と石塁で結ばれており、多聞櫓のようなもので結ばれていたのであろうか。この辺りは南の城下町側から見せる為の造りになっている。

本丸から南東へ伸びる尾根に二の丸、三の丸と続いているが、この辺りは多少石積があるものの明確な虎口などはない。織豊系による城郭ではあるが、全体的に技巧的な遺構は見あたらない。

案 内

国道9号線沿いに大きな看板が建っているので登山道入口はすぐに分かる(地図)。駐車場は国道の南にある下八木公民館に置くように指示されている。

案内板には石城の縄張図が記されているが土城は載っていない。道の駅「ようか但馬蔵」の観光案内所に八木城のパンフレットがあり、それには石城、土城の縄張図が載っているので、是非もらっておこう。

最寄り駅(直線距離)
7.0km 八鹿駅
9.3km 養父駅
所在地/地図
兵庫県養父市八鹿町八木
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
0.5km 但馬 八木古城
1.0km 但馬 八木城殿屋敷
1.3km 但馬 三宅蛇ヶ尾城
2.1km 但馬 大谷向山城
2.3km 但馬 大谷山崎城
2.5km 但馬 天満山城(養父市)
2.8km 但馬 三方城
3.2km 但馬 左近山城
4.0km 但馬 万久里城
4.1km 但馬 伊豆城
4.3km 但馬 尾崎天王山城
4.4km 但馬 朝倉城
4.4km 但馬 沖田城
4.5km 但馬 一部城
4.6km 但馬 中城
4.7km 但馬 九鹿城
4.9km 但馬 朝倉比丘尼城
5.1km 但馬 由良城
5.3km 但馬 尾崎尼ケ城
5.3km 但馬 新宮城
5.3km 但馬 八鹿カンス岩城
5.4km 但馬 西ノ山城
5.6km 但馬 十二所城
5.7km 但馬 愛宕山城
最終訪問日
2020年11月
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