築城年代は定かではないが南北朝時代に狩野氏によって築かれたと云われる。 狩野氏は伊豆国狩野荘の狩野氏一族とみられているが定かではない。
南朝方に属した内牧城主の狩野介貞長が安倍城を本城として、久住砦などの城砦群を築いて北朝方の今川氏に対抗したと云われる。暦応元年・延元3年(1338年)には今川範国が安倍城を攻撃した。観応2年・正平6年(1351年)には手越河原にて今川の軍勢と戦い、駿河府中を占拠していた中野掃部介、入江駿河守は今川の軍勢に敗れて久能山城に退いている。その後は次第に今川氏に圧迫され応永年間(1394年〜1428年)頃には今川氏に従っている。
安倍城は阿部川西岸の標高435.2mの山頂に築かれており、北朝方の今川氏が籠もった賤機山城を見下ろす位置にある。
安倍城は山頂の主郭を中心として北東から南西に伸びた尾根に曲輪を配している。南西側の峰には久住砦がある。
主郭は山頂にあって安倍城の石碑が建ち眺望が開けている。主郭から北東側は二段の削平地が続き、浅い空堀で区画した二つの曲輪が続き北東端となる。南西側も三段程の削平地が続き、そこからは自然の尾根で降るが東側は土塁状の地形が続く。久住砦との鞍部に近い下の方に一条の堀切が付いている。
安倍城への道はハイキングコースとしてよく整備されている。 登山口はいくつかあるが、主要な入口は南西麓の洞慶寺(地図)。南東麓の増善寺(地図)。そして今回使用した北東側の西ヶ谷である。 こちらは西ヶ谷総合運動公園の駐車場から道標に従って歩いて行くと林道の終点から山道が付いてる。途中には内牧側からの道と合流する。こちらのルートは谷からつづら折りの急な坂道を一気に登る道になっている。
最寄り駅(直線距離)