築城年代は定かではないが平安時代末期に狩野氏によって築かれたと云われる。 狩野氏は藤原南家工藤氏の一族で伊豆国狩野荘発祥。狩野維景が土着して狩野氏を称した事に始まるという。
明応2年(1493年)北条早雲が堀越御所の足利茶々丸を攻め滅ぼし、伊豆へ侵攻すると、足利方であった狩野城主狩野道一も北条早雲に攻められ、明応7年(1498)に狩野城も落城した。
狩野城は狩野川に柿木川が合流する地点の南西にある標高189mの山頂に築かれている。 現在は遊歩道が整備され史跡公園としてよく整備されている。
狩野城のある山は主郭のある山頂から丁字状に東、西、南に尾根が張り出している。 主郭は中央から南へ伸びた尾根にあって南北に長く北端に神社がある。この神社の背後にl字の土塁があり、南はそのまま土塁から櫓台とするにはやや広い南曲輪と記された土壇となる。ここから南東と南の両尾根を堀切で遮断している。
西尾根は主郭と堀切で遮断され、「本郭」、二重堀切、「西郭」、堀切と続く。 本郭は南を除く三方に土塁が付き、中央やや東が堀なのか崩落なのか、南へ崩れている。 西郭も北から西側にかけて土塁が付く。いずれも方形に近い小郭となっている。
東尾根は、堀切を挟んですり鉢状の不整形な小郭があり、さらに箱堀状の鞍部を越えて出丸へと続く。出丸部分は地形がはっきりしないが、平段と土塁らしき地形も確認できる。
国道136号線の柿木橋付近に道標が出ている。城山の北麓の道沿いに西へ進んでいくと狩野城の案内板が設置された公園の駐車場があり、そこから遊歩道が主郭まで続いている。(地図)
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