築城年代は定かではないが望月氏によって築かれたと云われる。
望月氏は滋野氏の一族である。建武2年(1335年)小笠原経氏に攻撃されて望月城が落城しているが、これは天神城と推測され、その後にこの望月城が築かれたと考えられている。
戦国時代には甲斐武田氏が佐久へ侵攻し、望月氏も武田氏に属した。
望月城は鹿曲川に面した段丘の上にあり、現在は公園として整備されている。
望月城の城域は広く南を通る中山道を挟んだ南側にある体育館の辺りまで小さな砦が続いていたという。
主郭は台地の南西端にあり、二の丸、三の丸が南東側へと続いている。本丸以外は畑や宅地などとなり、空堀も浅く埋まっている部分が多いようである。居館は西麓の城光院の場所にあったという。
老人ホーム望月悠玄荘の辺りに駐車場がある。
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