築城年代は定かではないが仁科氏によって築かれたと云われる。
天文20年(1551年)武田勢が小岩嶽宿城に放火、翌21年には激しく攻め立て城主は自害、討ち取った首は五百余人、足弱取ること数知れずという有様で、この時の城主は古厩盛兼であった。盛兼は仁科盛国の三男で古厩氏の祖とされる人物で、古厩氏は後に武田氏に従っている。古厩氏については古厩城を参照。
小岩嶽城は居館と詰城が一体となった城館で、富士尾山から東へ派生した尾根の先端頂部の標高840m付近に詰城、東麓に居館部が築かれている。現在は小岩嶽城址公園となって居館部の入口付近に模擬櫓や城門が設けられている。
小岩嶽城は残念ながら詰城部分がトメ山になっており立ち入りが制限されている。 山頂から南東へ延びた尾根先に展望台があり、そこまでは遊歩道が設けられているが、城山へは有刺鉄線で封鎖され入ることができない。
居館部は谷間に広がる広大な敷地が数段に削平されている。神社境内の上段手前には空堀があり、虎口のような地形も確認できる。下段の南側には屈折した空堀が残り、居館部は複郭であったようだ。
城門(模擬 城門)
県道25号線に面して道標が建っている。
最寄り駅(直線距離)