築城年代は定かではないが会田氏によって築かれた。会田氏は海野氏の一族という。
天文22年(1553年)武田信玄が虚空蔵山城の支城苅谷原城を攻め落とすと、虚空蔵山も放火している。
天正10年(1582年)小笠原貞慶によって会田氏は滅亡した。
虚空蔵山城は会田富士とも呼ばれる標高1139mの虚空蔵山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
虚空蔵山城は遺構が点在しており、ここでは山頂部の峯の城、秋吉砦、中の陣城に分けて紹介している。
峯の城は虚空蔵山山頂にあるが、国土地理院地図の1139mの地点ではなく西峰のほうである。
峯の城は東西二段の小規模な城で、東西両尾根を堀切で遮断している。いずれも細尾根であるが東の堀切は規模が大きい。
広田寺と東の県道を結ぶ舗装林道があり、その途中に虚空蔵山城の案内板がある。
峯の城へは秋吉砦などを経由して登ることもできるが、道は踏み跡程度で最後の尾根上には急坂をよじ登るようなルートのため、案内板からさらに東へ進んだ所にある岩屋神社の参道経由で登るのが良い。
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