築城年代は定かではないが正治・建仁年間(1199年〜1204年)頃に塩谷朝業によって築かれたと云われる。塩谷氏(しおのや)は八幡太郎義家の後裔左衛門尉頼純を祖とし堀江氏とも称した。この源姓塩谷氏の五代塩谷朝義は宇都宮頼綱の弟朝業を養子に迎えて家督を譲った。この朝業が川崎城を築いて御前原城より居城を移したという。
応永30年(1423年)塩谷教綱は宗家宇都宮の家督を武茂持綱が継いだことに不満を持ち、梨木坂で持綱を討ちとったという。その後一旦は宇都宮氏と和睦したが、長禄2年(1458年)教綱は宇都宮城で謀殺され、塩谷氏は一時断絶した。
その後宇都宮正綱の子孝綱が塩谷家を再興し、塩谷伯耆守孝綱と名乗ったが、天正18年(1590年)孝綱の子由綱の時、豊臣秀吉の奥州仕置きによって改易となり、由綱は奥州へ逃れたという。
川崎城は内川の支流宮川の西岸にあり、川に沿って南北に伸びた丘陵に築かれている。西側には東北自動車道が城山を削って通っているが、遺構は比較的良好に残っている。
川崎城は南端の山頂に本丸、そこから北にむかって二の丸・三の丸、水の手曲輪と続いている。
本丸は半円状で宮川に面した東側は急峻、西側に土塁を設け、その下に横堀を巡らしている。本丸の南下には南曲輪、東下には東出丸がある。北西にあるのが二の丸で、その北側に南北に分断する空堀があり、北に三の丸がある。
川崎小学校の北側の県道242号線を西へ進んで東北自動車道と交わる手前にあるのが城山。駐車場は山の東西両側にあるが、西側の高速道側にある案内板の所にパンフレットが置いてあるのでこちらから登るのが良い。
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