天正10年(1591年)岡本讃岐守正親によって築かれたと云われる。
岡本正親は塩谷氏の被官であったが、豊臣秀吉による小田原攻めに参陣して泉十五郷を賜り、翌年泉城を築いて松ヶ嶺城より移ったという。
岡本氏は江戸時代は旗本として存続していたが、正保元年(1644年)泉騒動によって改易となった。
泉城は南北に伸びた丘陵に築かれている。
山頂部に南北に長い曲輪があり、西下に帯曲輪を伴う。南端は堀切で遮断しきれていないが、西側には大きな竪堀として伸びている。
南側の道路から山に取り付ける。
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