築城年代は定かではないが、伝承によれば治承・寿永年間(1177年〜1185年)頃に堀江左衛門尉頼純によって築かれたと云われる。 堀江氏は源姓塩谷氏(しおのや)ともいい、八幡太郎義家の後裔で頼純が祖という。
五代塩谷朝義は宇都宮頼綱の弟朝業を養子に迎えて家督を譲った。塩谷朝業は正治・建仁年間(1199年〜1204年)頃に川崎城を築いて居城を移したという。その後も塩谷氏の支城となっていたようで、四郎左衛門尉泰朝が城主となっている。
御前原城はシャープ栃木工場の一角に本丸のみが残されている。 複郭の平城であったようであるが、現在残されているのは本丸のみで、全体見取図によりば、南に若狭郭、北西に淡路屋敷などが記されている。土塁線から見ると方形居館の集合のような城ある。
現在残されている本丸も方形居館そのもの。南北184m、東西184mの規模で北と西に虎口を開き周囲に土塁と堀が巡っている。横矢掛けや隅櫓のようなものもなく二重の土塁が巡るのみである。中央付近には麻疹地蔵堂があり、これは天正15年(1546年)に没した塩谷伯耆守孝綱の為に、嫡子弥六郎由綱が天正18年(1549年)に建立したものという。
国道4号線早川町交差点を西へ入った所にある。
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