築城年代は定かではない。 古くは応安2年(1369年)北朝方に降った楠木正儀が天王寺から榎並へ退いて陣を布いた記録がある。正儀が布陣した場所は詳らかではないが、日本城郭大系では地勢から水神社付近と推測している。
榎並城の記録が現れるのは天文年間(1532年〜1555年)で、三好政長・政勝父子の居城であった。天文17年(1548年)三好長慶と細川晴元が対立すると、三好政長・政勝は細川晴元方として長慶と対峙した。このとき政勝が籠もる榎並城が三好長慶に包囲されると、政長は江口城に入ってこれを支援しようとしたが、長慶に攻め込まれて政長は討死、父の敗死を聞いた政勝は榎並城を棄てて瓦林城へ逃れた。
榎並城は現在の榎並小学校から野江水神社一帯に築かれていたと云われる。 水神社は天文2年(1533年)に三好政長が榎並城を築いた際に水害を被った為、榎並城の一角に社を建てて祀ったのが始まりと伝えられる。
また榎並小学校の校門脇に「榎並猿楽発祥の地、榎並城跡伝承地」の石碑が建っている。