築城年代は定かではない。
島津忠久が入国したとき、頴娃忠信が知覧院郡司職に任ぜられた。 その後北朝方の島津氏によって薩摩・大隅・日向が平定されると、島津忠宗の三男佐多忠光が領した。
応永年間(1394年〜1428年)城主佐多親久の留守中に、南朝方として島津氏に反抗していた伊集院頼久の一族によって、攻られ落城したが、応永27年(1420年)頼久が島津氏に降ると佐多氏が再び城主となった。
シラス台地に築かれ、深く広い堀と急峻な切岸に囲まれた曲輪群で構成された南九州の典型的な城郭である。
県道232号線から城址の北側の道に入った所に駐車場と案内板がある。そこからの入口付近と本丸付近にポストがあり、パンフレットが入っている。
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