築城年代は定かではない。河原田本間氏の居城。
佐渡は雑太城主の雑多本間家が惣領で、各地に庶家が分立して多くの本間一族に分かれた。河原田本間氏もそのうちの一流であるが、羽茂城主羽茂本間家とともに惣領を凌ぐほどの勢力を持っていた。
豊臣秀吉に佐渡平定を命じられていた上杉景勝は天正17年(1589年)に軍勢を佐渡に上陸させ、上杉氏に従わなかった羽茂本間氏を6月に攻め滅ぼし、河原田本間氏も7月に攻められ落城して滅亡した。
河原田城は現在の佐渡高校のある丘陵に築かれていた。学校建設によって遺構はほぼ失われたようである。