慶長9年(1604年)江戸幕府の佐渡代官であった大久保長安が鶴子銀山にあった陣屋を相川に移し、相川陣屋を構えたことから始まる。
大久保長安は慶長18年(1613年)駿府で病没したが、その死後に不正に蓄財していたとして幕府の調査が入り、大久保長安一族は粛清されて断絶、姻戚関係にあった一部の大名も改易となった(大久保長安事件)。
元和4年(1611年)大久保長安時代の建物が破却されて役所も建て替えられ、相川奉行所として存続。その後幾度となく火災消失しているが、そのたびに再建され、幕府直轄領であった佐渡支配の中心として明治まで続いた。
相川奉行所は中学校の敷地となっていたが、2000年に役所などの復元が行われ公開されている。