築城年代は定かではない。平山城の支城で明応4年(1495年)には加治木氏が攻め寄せ南城を占拠されたが川上忠直は高尾城に籠って島津氏の援軍を待った。その川上氏は大永6年(1526年)島津氏に叛き島津忠良に攻められ討死した。
城は平山城から南西の尾根の頂部に築かれている。ここには慶長3年(1598年)に文禄の役で島津軍を助けたという狐を祀った稲荷神社が建てられていたが、現在は帖佐館跡へ移されている。
城は山頂から北西、南西に数段の曲輪を配し北西の尾根に三重堀切、南西の尾根にも一条の堀切を設けている。