元和元年(1615年)伊達宗清によって築かれた。宗清は伊達政宗の子で飯坂氏を継いだのち伊達姓に戻り、黒川郡下草城に居城した。
伊達宗清は慶長15年(1610年)に黒川の下草城に入部したが、元和元年(1615年)に吉岡城を築城して居城を移した。
寛永11年(1634年)伊達宗清が嗣子なく没して吉岡伊達氏は断絶となり吉岡城も廃城となった。
吉岡城は城内大堤公園の東側一帯に築かれていた。
吉岡城の資料は手元に乏しく現地に案内板もないため、どのような構造だったのかいまいちよくわからない。
城内大堤公園には物見櫓のような建物があるが、この部分は曲輪ではない。曲輪はその東側にある高台で、駐車場の眼の前に南西隅の櫓台が残されている。この部分は民家の敷地のようでなかに入れないが、西辺の土塁も見える。また北側の駐車場の脇からみると低いが北辺の土塁も確認できる。
道路の北側に館下公園があり、この道路部分にも吉岡城の標柱がある。公園も土塁状の高まりを残すが、遺構には見えない。
城内大堤公園に駐車場とトイレがある。