築城年代は定かではないが鎌倉時代に村岡氏によって築かれたと云われる。 村岡氏は岩切城主留守氏の一族である。
永禄12年(1569年)伊達晴宗の三男政景を留守家の養子に迎えたことに反発した村岡兵衛らは村岡城に籠城したが、留守政景らによって攻められ落城、村岡氏は滅亡した。 その後、留守政景は岩切城より村岡城へと居城を移し利府城と改めた。
留守氏は天正18年(1590年)の小田原合戦に参陣しなかったことから改易となり、留守政景は伊達政宗に従って大谷城へ移され利府城は廃城となった。 その後、留守政景は二桜城、一関城へと移り、伊達姓に復姓することを許され、子孫は水沢城主の水沢伊達氏となった。
利府城は利府小学校・中学校の北方に聳える標高100m程の山に築かれており、現在は館山公園として整備されている。
館山公園となっている部分に石碑と案内板が設置されている。ここから西南西へ延びる尾根は公園化されており、切岸や平段が確認できる程度である。城郭大系に掲載されている図面はこの公園から谷を挟んだ北東側の山頂部に土塁の付いた曲輪を描いているが、未確認である。
登山道の入口は利府小学校の西側にある。車の場合、山の北側へ回り込んで谷間を通る車道を上っていくと駐車場があり、そこから遊歩道が付いている。
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