築城年代は定かではない。延暦年間(782年〜806年)に坂上田村麻呂が蝦夷(えみし)征伐のおりの陣所、弘仁2年(811年)には文室綿麻呂の陣所として伝えられる。
康平元年(1058年)には熊谷次郎直秀、文治年間(1185年〜1190年)頃には奥州藤原氏の家臣照井太郎高春が住んだという。
延慶2年(1309年)には葛西清秀の居城となって、後に清水氏を名乗り代々居城としたが、天正18年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置きによって葛西氏が亡びると清水氏も城を退去したという。
文禄年間(1592年〜1596年)には伊達氏一族である留守政景が利府城、大谷城を経て二桜城へ移り、元和年間(1615年〜1624年)頃まで在城したという。
二桜城は東へ伸びた尾根の先端に築かれている。西へ伸びる尾根を二条の堀切で断ち土塁を設けている。主郭には八幡神社が祀られ、その下に旧花泉町の名の由来となった湧き水がある。