築城年代は定かではないが文安年間(1444年~1449年)に二階堂氏によって築かれたのが始まりとされる。
永禄年間(1558年~1570年)はじめに二階堂照行に城を改修して矢部周防、娶川左衛門を城代として置いていたが、永禄2年(1559年)に援軍として留守の間に田村氏によって攻められ落城した。
天正9年(1581年)二階堂盛義は田村氏を攻めて今泉城を奪還、浜尾善斎を置いて守らせた。
天正17年(1589年)伊達政宗が須賀川城を攻めたときには、今泉城の浜尾行泰・盛泰父子は伊達氏に内通し、須賀川城攻めの拠点として利用された。
今泉城は町内集落に北に聳える標高399.9mの館山に築かれており、現在は館山公園として整備されている。
山頂部が主郭で南北に長く、現在の登山道が上り詰める南側に方形に窪んだ虎口が残る。 縁には土塁があり、北端の主郭部分が一番高い。
この南北に長い尾根部分以外にも東西尾根に曲輪が点在している。
南麓に登山道入口があり案内板が設置されている。南のむそあ庵のあたりに駐車可能。
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