文化財指定
都指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
豊島氏
歴 史
築城年代は定かではないが鎌倉時代後期の築城と云われる。
城主の豊島氏は文明8年(1476年)長尾景春の乱に荷担し、扇谷上杉氏の家宰太田道灌に攻められる。
道灌は豊島泰明の籠る平塚城に攻め寄せたので、豊島泰明と泰経は
これを迎えうったが敗れ、泰明は討死、泰経は石神井城へ退いた。
道灌は泰経を追って石神井城へ攻め寄せこれを落とし、泰経は小机城へ敗走した。
説 明
石神井公園の三宝寺池の南側、氷川神社付近が城址である。
氷川神社の東側に柵で囲まれた所が堀と土塁を良く残している。
三宝寺池の北側には、石神井城落城の際に豊島泰経が白馬に黄金の鞍を置いてまたがり、三宝寺池の底に沈んだという伝説の塚が残され、その近くにはそれを追って入水した照姫の姫塚も残されている。
案 内
最寄り駅(直線距離)
1.2km 石神井公園駅
1.3km 上石神井駅
1.4km 上井草駅
1.6km 大泉学園駅
1.9km 練馬高野台駅
所在地/地図
最終訪問日
2007年11月