安政7年(1860年)江戸幕府によって築かれた台場の一つ。
アメリカのペリー来航を受け、安政6年(1859年)に横浜開港が決まった江戸幕府は横浜開港に備えて台場の築造を計画し完成を急がせたが、完成は開港の翌年となった。
神奈川台場の建造や警護役は伊予松山藩久松松平家が担っている。
神奈川台場は海岸線から船溜りを挟んだ2つの渡道によって接続された台場が沖合に築かれ、大砲が14基設置されていた。台場は南島側を向いていた。
神奈川台場はほとんど埋め立てられてしまっているが、石垣が2ヶ所地表面に露出して見学することができる。
一つが神奈川台場公園の所で、石碑と案内板が設置され、裏側に石垣が露出している。
もう一つは星野町公園の北側部分でフェンスに接して石垣が露出、矢穴に矢が刺さった状態の石も残る。