築城年代は定かではないが室町時代に吉良頼康によって築かれたと云われる。 吉良氏は三河国吉良荘発祥で足利氏の一族である。この吉良氏のうち東条吉良氏の一族が奥州へ下向する。その後、吉良成高が足利持氏から武蔵国世田谷郷を与えられ世田谷城主となった。
吉良頼康は成高の子で北条氏綱の娘を娶り、蒔田の地も領して蒔田城(蒔田御所)を築いたという。頼康は堀越六郎の子氏朝を養子に迎えて家督を継がせ、氏朝の子氏広へと繋がる。天正18年(1580年)豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が滅亡すると、吉良氏広は蒔田頼久と改名して徳川家康の家臣となり、天正19年(1581年)上総国大多喜の寺崎郷で千百二十五石を領した。
蒔田城は蒔田駅の南にある青山学院横浜英和中学高校(旧成美学園)のある台地の北端に築かれていた。
学校の敷地となっており遺構はほとんど残っていないようである。学校の東側の入口に「成美学園遺跡」として簡単な案内板がある。また南麓にある勝国寺は吉良氏の菩提寺の一つで、墓地には四基の五輪塔があるようであるが、残念ながら参拝時間を過ぎていた。