美濃 木越城みの きごえじょう

城郭放浪記


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美濃 木越城の写真
掲載写真数
形態
山城(329m/80m)
別 名
なし
文化財指定
市指定史跡
遺 構
郭,堀
城 主
遠藤氏
歴 史

築城年代は定かではないが篠脇城主東常縁の庶子遠藤盛胤によって築かれたと云われる。

盛胤の孫にあたる遠藤胤縁の頃には主家東氏を凌ぐ程の勢力となり、東常慶の子常尭は遠藤氏と婚姻を結んで勢力の回復を計ろうとしたが、胤縁は畑佐氏に嫁がせ、これを恨んだ常尭は永禄2年(1559年)赤谷山城で胤縁を暗殺した。

これに対して苅安城主で遠藤胤縁の弟遠藤盛数は、胤縁の嫡子遠藤胤俊を助けて赤谷山城を攻め落とした。しかし、盛数は郡上八幡城を築きいて自身が郡上郡を支配し、嫡子胤俊には木越城を与えた。

その後、遠藤胤俊の弟胤基が家督を継いで木越城主となっていたが、天正16年(1588年)郡上八幡城主遠藤慶隆とともに織田信孝に与したことで、羽柴秀吉に所領を没収され犬地六千五百石へ転封となった。

説 明

城は長良川の南側にある山に築かれている。城山の南側には谷間となって沢が流れておりほぼ独立した山で、長良川に面して急峻な地形である。

西麓から山へ入ると中腹あたりに、腰曲輪状の平坦地が二段広がっている。 ここから山頂へ至る途中には南側に竪堀が一条あり、山頂付近からはもう一条の竪堀が南側へ落ちている。山頂部は東西に長い主郭があり、その東西に小曲輪が配置されている。

羽柴秀吉に仕えて土佐一国の領主となった山内一豊の妻見性院(俗に千代)は、その出自に関しては謎の多い人物であるが、最近はこの遠藤慶隆の妹という説が有力となっている。

案 内

国道156号線から長良川の反対側を通る県道51号線に入り、城山付近に行くと「金松館」という料理旅館がある。これを目指して行くと案内板と標柱が建った登山口が見付かる。

最寄り駅(直線距離)
1.4km 山田駅
1.4km 自然園前駅
3.3km 徳永駅
4.7km 郡上大和駅
4.8km 郡上八幡駅
所在地/地図
岐阜県郡上市大和町島倉通
付近の城(直線距離)
0.8km 美濃 神路城
2.9km 美濃 中桐城
3.3km 美濃 篠脇城
3.6km 美濃 東氏館
4.1km 美濃 尾壷城
4.6km 美濃 松尾城(郡上市)
4.7km 美濃 滝山の陣所
4.8km 美濃 郡上八幡城
5.3km 美濃 愛宕山の陣所
6.0km 美濃 赤谷山城(東殿山城)
6.6km 美濃 中山城
7.1km 美濃 高冠城
7.1km 美濃 池原城
7.6km 美濃 吉田城
7.6km 美濃 阿千葉城
8.0km 美濃 西乙原陣屋
9.3km 美濃 高洞城
9.4km 美濃 中保城
最終訪問日
2008年9月
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