築城年代は定かではないが承久の乱から寛喜年間(1220年〜1232年)に東行氏によって築かれたと云われる。
東氏は下総国千葉氏の支族で、承久の乱(1221年)の功により郡上郡山田荘の新補地頭職を得て東胤行が下向して阿千葉城を築いたことに始まる。
四代東氏村は当時勢力を誇っていた鷲見城主鷲見氏との距離が近すぎることと、南朝方の拠点である越前からの来襲に備えるために、篠脇城を築いて居城を移したといわれる。
阿千葉城は長良川とその支流の間を南へ伸びた丘陵の南端頂部に築かれている。現在は登山道が整備されている。
単郭の城で南の最高所を主郭とし北下に一段低い曲輪がある。東側には土塁があり北尾根に向かって伸びており、その下方に堀切が一条ある。主郭の北面に石積があり、その下には池と手水鉢があるが、お寺か神社があったのであろうか。西側には虎口らしき通路がある。
現地の案内板に掲げられている縄張図では北尾根にも遺構があるように書かれているで歩いてみたが、北尾根は自然地形であり城域はやはり南端の部分のみである。
国道156号線沿い、ちょうど城山の南側に小さな橋があり、その北側に宝暦義民傘連判状の石碑がある。そこが城山への入口で、入口付近に駐車できる。
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