詳細不明。天正8年(1580年)塀和の領主竹内為能が宇喜多氏から毛利方に転じたため宇喜多氏が竹内氏を攻めた。寄城は竹内氏の高城を攻めるための陣城として宇喜多氏が築いた陣城と考えられている。
寄城は高城と尾根続きの北方約500mにある標高343mの所に築かれている。
単郭の城で東西に長く土塁で囲繞するが堀はない。土塁の内側に溝があるが、土塁の盛土を内側から採取したためと思われ、陣城では同様の遺構を見ることがよくある。現状西辺に土塁が確認できないが、改変を受けているような印象がある。土塁は高城側となる南辺がやや高く、塁線に折れがあり南にやや張り出している。
虎口は明確ではないが、現状南東隅Aの部分が開口する。