詳細不明。応永年間(1394年〜1428年)に源修理亮秋行の居城と伝える。
本山城は月田川南岸の土井谷殿河内にある標高392mの山頂に築かれており、山頂の主郭を中心に北と東へ伸びる尾根に曲輪を配している。
主郭は山頂にあって半円形で西側に内高2m程の土塁を設けている。土塁の北端には社が祀られている。南西に続く尾根には堀切はなく、小段があるのみで自然地形になっている。
主郭から北へ伸びた尾根には西側に土塁状の通路のような地形があり、東側に平坦面があり、先端がやや広い曲輪になっている。
主郭から東へ続く尾根が馬場と伝えられ、その名の通り東西に長い削平地が続く、主郭に近い側がやや凹み、その先に小高く段になって、先端部分は小段が階段状に続いていく。こちら側にも堀切はない。
県道32号線にある「手の尾トンネル」の西側が殿河内で、県道から西の谷間の集落に入ると山に入る道がある。ただ現在山道は途中で崩れており薮化していて中腹が通れなくなっている。ちょうど山作業をしていた方に訪ねると、北尾根の先端側にまわって登るのが良いということで、そちら側からよじ登った。
最寄り駅(直線距離)