永享元年(1429年)総社長尾氏によって築かれた。 上野守護代総社長尾氏は上野国府跡ともいわれる地に城郭を築いた。築城は長尾景行とも長尾忠房ともいわれる。
徳川家康が関東に入部すると、文禄元年(1592)諏訪頼忠が武蔵国奈良梨から蒼海城に入部するが、慶長6年信濃国高島へ移封となった。替わって秋元長朝が一万石で入封するが、長朝は惣社城を築いて移った為、廃城となった。
蒼海城は上野国国府一帯に築かれていたという。 総社神社には「蒼海城跡地図」という大きな看板が掲げられている。
蒼海城の遺構は殆ど失われているが、本丸の土塁がわずかに残されている。本丸の土塁は殿小路公民館から御霊神社との間にあり、道路に面して薮になっている部分である。 この辺りは道路が周囲の宅地や畑などより一段低くなっている所が多く、かつての堀跡の名残であろうか。