築城年代は定かではないが応永6年(1399年)頃に龍神山城守頼綱によって築かれたと云われる。 龍神氏は治承4年(1180年)宇治での戦いで討死した源頼政の子頼氏がこの地に来住し、龍神氏を称して代々住んだことに始まるという。
応永6年(1399年)大内義弘が和泉国境で反乱を起こし応永の乱となると、龍神頼綱は足利幕府に味方して戦功を挙げ、その功によって矢田庄土生村・小熊村などが与えられ、鳶之巣城を築いて居城とした。
龍神氏は永正5年(1513年)龍神秀政のとき、湯川氏とともに大和国高取城を攻めて敗れ、鳶之巣城が攻め落とされると龍神氏は離散した。龍神氏はその後、この辺り一帯を勢力下に置いた玉置氏の支配下に置かれた。
鳶之巣城は高城小学校の南方に聳える標高240m程の山に築かれている。特に整備されているわけではないが、遺構の状態は良く散策しやすい。
鳶之巣城は最高所の標高258mの峰の東方にある丁字状になった峰に築かれている。南北に長い主郭は周囲より一段小高く造成され、南尾根は堀切によって遮断している。 その北側に東西に伸びた曲輪が付き、東端部は城内側に分厚い土塁が付いて虎口とし、東斜面には山道の両脇に連続竪堀を設けている。西尾根は堀切に面して土塁が付き、堀切の北側は曲輪の北を鈎状に屈折して竪堀へと続く。この竪堀に面して土塁の付いた腰曲輪がある。西尾根にはさらに一郭あってその先にも一条堀切が付く。北側の山腹には横堀が付いている。