築城年代は定かではないが室町時代に野辺弾正忠忠房によって築かれたと云われる。 野辺氏は源経基の子満快の後裔という。
野辺氏は高田土居城を居館として忠房の頃に平須賀城を築いたという。 野辺氏は畠山氏の被官で、湯川氏に属していた野辺光房は永禄5年(1562年)に河内国若江で三好氏と戦い討死した。その子、野辺春弘のとき幡山要害城を築いて居城を移したという。
平須賀城は南部川とその支流が三方を流れる標高206.2mの山頂に築かれている。 放っておくとすぐに薮化しそうな山であるが、全体的に良く整備されており遺構の確認がしやすい。
主郭は山頂にあり、天守台と呼ばれる高台が主郭でそこから北へ段々と曲輪が連なっている。西下には馬場と呼ばれる帯曲輪が付く。北端から西の尾根は深い二重の堀切で遮断し、北東の尾根も堀切で遮断する。その間にある北斜面に連続竪堀があり、この辺りの堀が見所である。
城山の東麓側の国道424号線に橋が架かり、その入口に城跡への道標が出ている。ここから道標に従って梅林の中の林道を登っていくと谷間の平地にある梅林の脇からコンクリートの石段で登る道があり、これが登山道の入口。(地図)
登山道入口付近には駐車できないので、車はどこかに駐めてこなければ行けない。
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